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大阪府羽曳野市出身。2代目は親につけてもらった名前を後に、卯七郎と改名したので、「ゑり卯商店」の包装紙には卯七郎の名前が記されている。喜久子さんは3代目。長男、長女、孫3人がいる。 |
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卯七郎は私の祖父で大阪、南河内の河南町の士族の出です。昔は家が商売をしていたら家業を継ぐこと、店の暖簾を守ることが個人の気持ちより優先されるような時代です。好きな人と一緒になるというような、恋愛なんて考えられない時代ですよ。祖父は「ゑり麻」という店の主人の長女に、後継ぎとして婿養子に入ったんですが、なんと、その店が性に合わないというのか、気に入らなかったようで飛び出したそうです。そのとき、お嫁さんも一緒に祖父について来たっていうから驚きますね。
卯七郎夫婦が大阪から元町にきて「ゑり麻」のゑりと自分の名前の卯七郎の卯をとり「ゑり卯商店」を創業したのは明治17年です。戦前は半ゑり、帯揚げ、かんざしといった小間物を商っていましたが、戦後は花器と茶道具の専門店になりました。昭和35年に今の店の建物になり、店の2階は神戸文化教室という名前で、華道、茶道の教室も開いていました。1階でお道具を販売して、2階は貸し稽古場にしていたのですね。私が嫁いできたのは昭和36年。当時は店員さんが2人いて、朝の9時ころに店に来て夕方6時ごろに帰っていました。商売も店番も何もかもが初めてのことで、もう、毎日、無我夢中で過ごしました。店番をしながら、家事、育児。小さい子供たちも、商品を並べる手伝いをしてくれましたが、落として割ったということが不思議となかったですね。
今は華道や茶道の先生の注文が中心なので、店頭に並ぶ商品の数は限られています。1階のあいた場所で何かできたらなぁと思うのと、2階の・・・今は、レンタルスペースというのですね、この場所をご利用くださいね〜と宣伝してもいいですよ〜と言われたので、最初はお断りしていたのですけど、昔のことなどお話することにしました。お部屋の見学もできますよ。よろしくお願いします。 |
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